たった一度の不可逆な瞬間

社会人になり、生活に関わる様々な書類の処理が増えました。

 

役所にも何度か足を運び

社会の仕組みを少しだけ、理解したつもりになっています。

 

大人になったことを実感する瞬間のひとつでした。

 

 

ところで、知識や経験に関して

知らない、やったことがない、行ったことがない

見たことがない、ということは

 

ある意味で貴重な財産なのではないか

と思います。

 

というのも、そこには

これから新しいことを知る、経験するという喜びがあり、

刺激を受け、感動する余地が残されているからです。

 

もちろん、様々なことを経験して得られる知見により

人生はより豊かになるだろうし、

知っているからこそ、新たな感動を得ることができる場面もあるでしょう

 

しかし、ある出来事を一度経験することにより、

そこには一つの固定観念が生まれるでしょう。

 

それにより同じ出来事からは、一度目のような

強烈な体験をすることができなくなります。

 

これは、物事の言語化においても同じことが言えると思います。

 

本を読んだり、先人の話を聞くことで

ある物事に名前がつけられます。

 

このとき、言語化されることで

自分の中で、ある物事は形を持ち、明確なものとなります。

 

しかし一方で、意味が限定的になることで

言語化の際に、その言葉では表せない

何かが失われることになると思うのです。

 

 

 

・・・2つの話が混在してしまいましたね。

 

どちらにおいても

まだ知らない、経験していない、言葉にできない

 

ということは

 

将来、これらが確かな形となる

一度きりの感動を得られる貴重な状態なのではないか

 

と、思います。

 

その瞬間はおそらく一度きりで、知らなかった頃には二度と戻れないのです。