二十億光年の糸

人類の最も偉大な発明は、数と言語だと思います。

 

ひょっとすると、ある意味では数も言語の一部であると言えるかもしれません。

それは、数の表現には1,2,3という記号

もとい文字での表現が必ず一緒だからです。

 

そうすると、より差別化すると文字と言語、と言えるでしょうか。

このあたりはまだ自分の中でもはっきり結論を出せていません。

ともかく、この文字と言語というものはとんでもない発明だと思うのです。

 

例えば、自分の考えを他者に伝える時に言葉を発します。

言葉という音の連なりが空気を振動させ、他者の耳から脳へと伝わり

その脳の中で意味のあるものとして再形成されます。

 

単なる空気の振動の連なりにすぎないもので、

私達は意思疎通を可能としているのです。

 

動物も意思疎通の手段として言葉を使います。

それは、鳴き声や身振り手振り(ボディランゲージ)といったもので、

単純なやり取りしかできません。

 

そこに言語という、音に複雑な連なりを持たせることで

言葉の表現の幅は途端に広がります。

 

人類がここまで高度な知能を持ったのも、

言語によって、複雑な意思疎通ができたからかもしれません。

 

さらに記号というある種の「模様」を言語と結びつけることで

文字として意味を持ちます。

 

文字のすごいところは、いつでも、どこでも

見るだけで意思疎通が為されるということです。

 

文字を通して、言語は時間と空間の制約から解放されるのです。

 

数百年前に書かれた文字が現在へ伝わったり、

たった今世界のどこかで書かれた文字が、すぐ手元で見ることができる。

 

過去との対話、地球の裏側との対話

一見、物理法則に反しているとさえ思えることが実現するのです。

 

これは生き物としての限界を超えているのでは、と感じます。

個体としての生き物では不可能であることを、文字は可能にするのです。

 

こうして今私が綴っているこの日記のようなものも、

私という存在が消えた後でさえ、残り続けるかもしれません。

遠い未来、途方も無い距離の先に私の意思を伝えることも可能なのです。

 

50年後、100年後には、今は輝く星の一つでしかない火星で、

誰かの目に触れるかもしれないのです。

 

 

それは過去と未来、地球と火星の対話とでも言えるのではないでしょうか。

 

大げさかもしれませんが

過去にも未来にも、この宇宙のどこかに

逢うべき糸があるのかもしれません。