人生にスパイスを

年齢的にはもうすっかり大人、という歳になり

いろんな場面で保守的になってしまいます。

 

それはちょっと大きな買い物を考えている時とか

これまでやったことのないことに挑戦する時とか、

なんだか危ないことをやってみようとする時です。

 

保守的になってしまう理由はもちろん、

この選択で間違いないか、自分に害は無いか、損をしないか。

そんなことを先回りするように考えてしまって

まだ起きていない悪い事に囚われるからではないでしょうか。

 

こんな私でも、歳を重ねるごとに少なからず知見を得て

拡がった視野の分だけ、いろんな想像をします。

 

当然、できるだけ悪いことが起こらないような選択をします。

 

運が良ければ何事もなく、期待通りの良い結果が得られ

私は満足するでしょう。

 

運が悪ければ、失敗して手痛い思いをすることもあるでしょう。

それから、「あっちにすればよかった。くそ~!」と後悔します。

運ではなくて、自分の選択に誤りがあったならフィードバックします。

 

そして、次こそは間違いのない、無難な選択をしたいと思うのです。

 

 

しかし、無難な方ばかりを選択する人生って、どうなんでしょう。

・・・いきなり話が飛躍してますね、精進します。

 

 

この選択とフィードバックの積み重ねにより、極端な話ですが

何もかも自分の想定通り、自分にとって悪いことなんてほとんど起きない。

それは、人生という長いスパンで考えた時

満足のいくものなんでしょうか?

 

私はつまらないと思います。

前記事とも少し関連しますが、

豊かな生活には刺激が必要だと思うのです。

 

刺激とは、思いがけない出来事によって

良くも悪くも心を動かされる事です。

心を動かされる事で、何か大きなものの一端を垣間見ることができ、

少しだけ生活が豊かになるような気がします。

 

もちろん、慎重な選択をして

想像通りの結果が得られることで

大きな喜びを感じるのも事実です。

 

しかし、想像以上に良い結果が得られたときには

より大きな喜び、感動を覚えるでしょう。

 

これと同じように、想定外のことが起きた時でも

私は心を動かされると思います。

真逆のベクトルではありますが、大きな感動を得ているのではないでしょうか。

 

それはとても辛い気持ちになるかもしれませんが、

感受性を豊かにしてくれる大切な経験なのだと思います。

 

 

範馬勇次郎も言っていましたが、

安全で体にいいものだけを摂ることが、はたして健全と言えるのでしょうか。

 

自分にとって悪い出来事さえも、人生という長いスパンで考えるなら

それはむしろ貴重な経験になると思います。

 

要するに、酸いも甘いも噛み分けるということが

人生に深みを与え、豊かなものにしてくれるのではないでしょうか・・・

 

 

 

こんなことを考え、

日々、ちょっとした冒険をしようと意識しています。

 

その日その日では、大きな変化は感じられませんが

いつか人生の隠し味として現れてくれることを、期待しています。