死者の行進

自分の人生を生きるということは、

実はとても難しいことなのではないでしょうか。

 

ただ漫然と日々を過ごすことは

生きているとは言えないと考えています。

 

漫然とした生活には、自分の意志は無く

ただ時の流れに身を任せているだけに過ぎないのです。

 

意志の無い生活は、死んでいないだけで

生きているとは言えません。

 

これだけなら、そんなに難しいことのように思いませんが、

ここでいう意志とは、持論ですが

自分の内側から湧き上がる、何者にも侵されない意志

と考えます。

 

すると、意志のある生活というのはかなり限られたものになります。

朝はやく起きて通勤すること

会社で仕事をすること、あるいは学校に通って勉強すること

翌日に備えて早く寝ること、そのために寝支度を整えること・・・

 

これらは私の定義では自分の意志では無いと考えています。

というのも、これらは会社や学校といった

他者の影響を受けて変容した意志だからです。

 

こういった観点で考えると、

私達は日常的に、社会や他人といった

外的要因に意志を左右されている

と言えると思います。

 

こうなってくると

朝、服を選んだり、

おめかしすることさえ、自分の意志と言えるか

怪しくなってきてしまいます。

 

なぜなら、私の場合ですが、

人に会う予定がなければ

わざわざ身支度を整えたりしないからです。

 

頼まれごと、仕事としてやらされていること

これらは、本当は私じゃなくてもできることです。

私じゃなくてもできる、とは、

そこに私の価値は無いということです。

生きている意義がない。

それは、死んでいるのと同じではないでしょうか・・・

 

生きるとは、自分の意志で行動すること

 

私は、この考えにたどり着いたとき、

もっと生きる努力をせねば、と思いました。

 

それはつまり、主体的に考え行動すること

もっと簡潔に言うと

やりたいことをやる、ということになるでしょう。

 

極端かもしれませんが、

やりたいことをやってるときしか、私は生きていないのです。

 

会社で働いている時間、私は死んでいます。

それは、働くのが嫌という話ではありません。

それもまた、生きるために必要なことなのです。

 

自分の人生を生きるためには、

なるべく死んでいる時間を少なくし、

やりたいことを全力でやる、ということが必要だと考えています。

 

やりたいこととは、自分にしかできないこと

 

自分が心からやりたいと思うことです。

 

そして、より自分の人生を生きるためには、

外的要因が加わった自身の意志を

どれだけやりたいことに近づけられるか

ということではないでしょうか。

 

ここまで、小難しいことを述べましたが

自分がやりたいと思っていることが

本当に自分の意志によるものか確かめる方法はあります。

 

他人から理解されないもの、

他人からみて、何の効果、利益のないもの

時間の無駄だとさえ言われるもの

 

これこそ、自分自身の意志であると言えるでしょう。

他人からの批判をものともしない意志

そこに外的要因の入り込む隙があろうはずもないからです。

 

ただ時の流れに頭を垂れ、

死んだように歩み続けることを

私はしたくないのです。